むかしのはなし、いまのはなし

叩けばでるでる、アラサーだもの。

ブルー

ちょうど一年前、うつ病と診断され、3カ月の休職を経て退職。

実家で静養し、ずいぶんと元気になった。

 

数か月前から一人暮らしを再開し、新しい環境にも慣れてきたこの頃。

え?再発?

と怖くなるような不安感や気分の落ち込みを感じる。

そしてよく泣いている。

 

どういうわけか、20歳頃の自分を思い出す。

あの頃は、自分にはなんでもできると、こわいものなんて何もないと、

不思議なほど自信満々だった。

チャレンジを恐れず、新しいことにもどんどん挑戦していた。

 

30歳になった今でも、自分の本質は変わらない。

相変わらず新しいことは好き、やってみればなんとかなるさと思う。

でも、ときどきどうしようもない不安感、焦燥感に襲われる。

そしてなかなか抜け出せない。

 

この道を選んだ自分の道は正しかったのか、無鉄砲すぎたのか、なんてぐるぐる考える。

自分に自信がなくなる。

 

うつだった時の思考回路と似てる。

再発なのかな、こわいな。

 

自分のうつを受け入れる

私は心療内科うつ病と診断されてから、3カ月ほど仕事を休職した後、そのまま退職した。

 

最初の2カ月ほど、私はなかなか自分がうつであると受け入れられなかった。

つい最近まで普通に(自分の中では)会社に行っていたのに、急に長期で休むことになり、どんな気持ちでどのように過ごしていいか分からなかった。

 

とにかく、不安だった。

会社や取引先から引継ぎに関する電話がかかってくる度に恐怖だった。

 

本当に自分は仕事を休んでいていいの?

他の人はみんな働いているのに自分は休んで情けない!

こんな情けない自分を見られたくない。

働いてないんだからお金を使っちゃいけない。

 

外に出るときは、人の顔を見ないように、人に顔を見られないように下を向いて歩いていた。

声も小さくなった。

大きな駅に行くときは知り合いに会うんじゃないかとどきどきしていた。

 

最初の頃はうつに関する情報をネットで調べまくった。

うつってどんな病気なのか、休職中に何をするのが良いのか、どうやったら早く治るのか。

同じような立場の書き込みを見ると少し安心した。

自分が休んでいることを肯定された気持ちになった。

 

こんな不安と自責に満ち満ちたことを考えながら過ごしていたためか、気持ちは一向に安定しなかった。

 

自分のうつを受け入れられたのは、休むことに慣れた頃だと思う。

3カ月目くらいから、何もしない自分を受け入れられるようになった。

休んでいる自分が普通になった。

 

有意義に過ごさなきゃ!規則正しく生活しなきゃ!

病気なんだから休まなきゃ!

この「~すべき」「~しなきゃ」という考え方を捨てられたのもこの頃。

 

昼に起きてもいい、遊んでもいい、泣いてもいい、好きなもの食べていい。

 

やりたいことだけすればいいやと思ったら、毎日過ごしやすくなった。 

 

今は以前と比べてずいぶん前向きに物事も考えられる。

うつを受け入れられてからが、本当の治療かもしれない。

私がうつ病と診断されるまで②

上司にメールで心療内科に行く旨を報告し、次の日はお休みをもらった。

まずはインターネットで心療内科を探した。

メンタルクリニック、精神科、心療内科・・・

何を基準にどう選んでいいか分からなかった。メンタル系の病院に行くのはなんだか怖かった。

それでもとにかく早く病院に行って安心したかったので、家の近所や会社の近くで評判が良さそうところに電話をかけた。

最初の2、3件は予約が埋まっており、最短でも2週間~1か月後待ちと言われた。

勇気を出して電話をしたものの、出鼻をくじかれ、ここで少しパニックになった。

が、気を取り直して電話を何件かし、当日予約が取れるところを見つけた。

その際、受付の人に、「当院は病院ですので、お薬を処方しますが、お薬を飲むことに抵抗はないですか?」と確認された。

私はちょっとひるんだ。

メンタル系の薬を飲むことに抵抗がないといえば嘘になる。でも他に今日行ける病院があるかは分からない。今の状態で宙ぶらりんになることの方が怖かった。

『はい、大丈夫です。必要ならば飲みます。』

と、今では仰々しいとさえ思えるようなやり取りをして、予約が完了した。

 

病院では、問診前にチェックシートを記入した。フィジカル面、メンタル面でどのような症状が出ているかを点数方式で記述するシートだった。

次に、先生との問診。30~40分ほど、じっくり聞いてくれた。

私は今日までの経緯や、諸症状のほか、あと3カ月で今のプロジェクトが終わること、自分で希望した仕事なので最後まで頑張りたいこと、残業は多かったが上司からのパワハラなどはないことを伝えた。ぼろぼろ泣きながら。

涙はその後も私のうつ生活につきまとうことになる。

 

「休みましょう。体を壊してまでしなきゃいけない仕事はないですよ。」

 

先生はとても優しかった。こうした状況になったのは会社のやり方が良くない、社員を大事にしていない、私と同じ会社の患者さんを何人も見てきた、と言い聞かせてくれた。

私が自分を責めないように、との配慮もあったとは思うが、初めて第三者視点、しかも専門医の視点で状況を判断してもらえて、少し救われたような気がした。

 

「まずは上司に伝えて、休職手続きを確認してきてください。診断書が必要になると思うから、また来てくださいね。」と言われ、漢方薬抗不安薬を処方してもらった。

 

正直とても不安だった。自分が、うつ病だなんて。休職することになるなんて。

みんな辛くても頑張っているのに、自分は弱いんだ、と自分のことを責めた。

 

家に帰って地元にいる両親に連絡した。またぼろぼろ泣きながら。

 

気持ちが落ち着いてから。上司に連絡し、明日からはお休みすること、休職手続きについて教えてほしいことをを伝えた。

 

その晩、ここ数カ月で感じたことのないほど深く深く眠れた。

自分がどれほど眠れていなかったか、実感した日だった。

 

私がうつ病と診断されるまで①

うつ病です。明日から会社は休んだ方がいいですね。休職できますか?」

 

初めて行った心療内科で、お医者さんにそう言われたときは、本当にびっくりした。

『え?休む?明日から?あと3カ月で今のプロジェクトが終わるのに?』

自分の中では、専門医に話を聞いてもらって、薬を処方してもらうだけだと思っていた。あと3カ月間、今のプロジェクトを頑張れば解放されると思っていたから。

 

「今、骨折している状態だと思ってください。その状態であと3カ月もジャンプできますか?これ以上悪くなると、起き上がれなくなりますよ。」

 

その言葉で、恐る恐るも次の日から休むことに納得した。

 

私は外資系企業で働いていた。ハードワークの多い、いわゆるバリキャリ系の会社だった。転職して3年目だった。

数カ月~数年のプロジェクト単位で仕事に入るため、プロジェクトが変われば働く場所も、一緒に働く人も変わる、そんな環境だった。

 

当時のプロジェクトに入って2カ月が過ぎた頃、仕事中の手汗が気になるようになってきた。パソコンのキーボードに汗の水滴がつくほど、異常に手汗をかくようになった。

次第に指が荒れるようになった。手汗で指先がふやけ、皮がぽろぽろ剥けた。

自分のぼろぼろの手を見るのはとても嫌だった。

同時期から胃痛、胃のけいれん、吐き気、頭痛などの症状が出ていた。

その頃にはどんなに仕事で疲れていても、朝方まで眠れない、という状態が続いていた。

 

自分の興味に合った仕事内容で、自分で希望したプロジェクトだった。

上司からは期待もされて、必死だった。

仕事はやってもやっても終わらなかった。常に仕事のことが頭から離れなかった。

大好きだった飲み会も、友達からの誘いも行く気にもなれず、時間もなく、ほとんど断っていた。

 

彼氏との電話で、毎晩毎晩「仕事がしんどい。」と泣くようになった。”めそめそ”ではなく、”わんわん”と大泣きしていた。

 

もうだめだ、と思ったのは大型連休明けだった。

前日はほとんど眠れず、会社に行ってメールを開いた途端、また異常なまでの手汗が出だした。

連休中、私の手荒れはずいぶんと良くなっていた。

 

また手がぼろぼろになる ———

 

そう思ったら涙が溢れて、トイレに駆け込んだ。

胃がけいれんし、もうだめだと思った。

そのまま会社のメンタルヘルス相談室に行き、心療内科へ行くよう勧められた。